[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
このごろ,東京の空撮画像をみたりすると改めて東京は広い街だと感じるようになりました.東京というか,関東平野といった方が良いのかもしれませんが.どこまでいっても絶えない街の様子をみていると圧倒されます.
金沢での私の住まいのすぐ南が山で,車で北へ少し行けば海まで簡単に着いてしまうという現在の地理的状況が,関東平野の広さを余計に感じさせるのかもしれません.
一昨夜も,テレビで東京の空撮画像をみました.ご覧になった方もいるかもしれませんが,NHK「沸騰都市」の最終回です.
相変わらず建物が続いているなぁなんて考えながらぼーっとみていましたが,番組の要旨は東京の開発はまだまだ続くということのようでした.
隙間なく開発された東京は,現在高層化と地下開発によって新たな空間を生み出そうとしているようで,この流れは止まらないのだなぁという印象を受けました.
森ビルの社長さんが出てきて,高層ビルを眺めながら「こういうのが立ち並ばないといけないんだよ」と言っていました.開発には反対意見もあると思いますが,昨日の番組ではそうしたことは紹介されていませんでした.東京に関しては,社長の意見は非難されるべきものではなく,多くの人々のニーズを捉えているものなのかもしれません.
環境への意識が高まっているとはいえ,東京に関してはそれ以上に開発の要望が高いというのが実情のように思いました.
一瞬画面に映った開発計画の模型では,高層ビルの横に街路樹が植えられ,自然を取り込んでいる印象を与えていましたが,面積や空間の割合からいえばごくわずかなもので,部屋にかざられた観葉植物程度の存在でしかないようにみえました.東京での開発に付随する自然環境の整備とは,多少なりとも安らぎを感じたいという人間のための自然であって,自然のための自然ではないのだと感じました.
自然共生型のまちづくりのようなことが言われたりしていますが,残念ながら東京ではその考えは成立しないように思います.
自然共生を実現するならば,これまでの開発やものづくりとは異なる価値観が必要になると思いますが,東京が持つ発展のベクトルからそれは生まれてこないでしょう.
東京を真の自然共生都市にするためには真逆,とまではいかないまでも大胆な方向転換が不可欠ですが,多くの人々は東京にそれを望んではいないように思います.
東京のベクトルは,もはや誰か或いは一部の人々によって計画され得るものではなくなっていると思います.東京のまちづくりにおいては,いくらかの広がりをもった地域に対して理想を論じることは難しいかもしれません.今後の東京の変容は要素の入れ替えによるマイナーチェンジによってしかなされ得ず,今の方向のままなるようになるのではないかと思います.
都市工学に携わる私の友人は地方に出たいと言っていました(彼は現在東京で働いています).
彼がなぜそのように言うのかわかりませんが,もしかすると東京のような大都市においては理念や理想を掲げたまちづくりは難しいということに気づいていたからなのかもしれません.
かといって東京が無計画に開発されて良いというものではありません.高層化,地下開発という高度化の方針を維持しつつ,多少なりとも環境への負荷がない開発を行うよう管理する必要はあるでしょう.
また,地域づくりではなく,国土づくりの上ではその機能は十分に考慮され,計画される必要があります.大都市以外での自然共生型都市づくりというものが進められるとすれば,それらの地域が持たない機能を東京が担うことが期待されます.そのときに求められるのは,さらなる高度利用かもしれません.
「沸騰都市」ではリニア新幹線の話も出てきましたが,国土において機能を分散しつつそれらを有機的に働かせるためには,そのつながりが密である必要があります.少なくとも時間的に近接している必要があるということです.そうしたインフラが整備されれば,仮に東京が映画「Fifth Element」のような都市になったとしても,短時間でアクセス可能な自然豊かな周辺地域が存在するという国土におけるバランスは保たれるということになるのかもしれません.
長くまとまりのない文章になりましたが,今日はこの辺で.
02 | 2025/03 | 04 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ||||||
2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 |
23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 |
30 | 31 |