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金沢大学角間キャンパスで働く准教授のブログです.大学や金沢での生活や,その他もろもろです.
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昨年度購入したワークステーションを本格的に使おうと画策しており,WRFによる複数のシミュレーションを同時に実施するテストをしてみたのですが,CPU・メモリともに余裕があるにも関わらず計算速度が著しく落ちるということが起きまして.もう完全に「?」です.

新しいワークステーションはXeon5680デュアルコアで,プロセッサ数は12.うち,4つあるいは6つのコアを使って二つのランを同時に実施したところ,計算時間が1.5倍~2倍弱に増加.プロセッサを共有することはないし,メモリも十分空いているのにどうしたことかと.

二つのランは個別にコンパイルしたプログラムを使いましたが,何らかのライブラリ等を競合して使用しているかもしれないので,ダミーのアカウントを作って,独立性を高めた環境で試したものの状況は変わらず.
これまで使っていなかったハイパースレッディングが原因かと,Offにしても変わらず.

一方のランで途中の計算結果を出力する際にはもう一方の処理速度は早くなるので,計算中に何らかのプロセスの競合が起きているようでして.Googleさんで探ってみようかとも思ったのですが,参考になる情報はなさそうでした.

これまでそんなことは起きていなかったように思ったので,以前から使っていたワークステーションでも同様のことを行ったところ,わずかではありますが計算速度が遅くなっていることが確認できました.どうやら気づかなかっただけで,同じ現象が起きていたようで.

何が起きているのかわかりませんが,性能をフルに使えていないことだけは確かだと思うので,何とか解決したいんですけどねぇ.誰か解決方法を知っていたら教えてくれませんかねぇ.うーむ.

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サイエンスポータルにて「政策形成への科学的助言」という記事が掲載されました.社会とかかわる科学者・研究者にとっては参考になると思うので,多少長い記事ですがお時間があれば是非ご一読を.

記事では様々な側面を紹介していますが,そのうちの一つに事象,科学者,実際の対応を行う人の関係が示されています.ある事象が起き,それを観察する科学者がいて,その結果をもとに提言等を構成する科学者がいて,実際の行動を担う人に伝えるという4つの段階から構成されると.
ごく当然の流れだと感じますが,第3段階での提言等の構成についての解説にはなるほどと感じるものがありました.非常に参考になると感じたので引用しておきます.
ループの第3段階は、本稿のテーマである政策形成への科学的助言の段階なので、詳しく見てみよう。この段階は、第2段階で行われた、状態観察や調査・分析による評価や警告、地域の文化や経験などを総合し、地域に合った復興計画や、個々の課題解決の行動に適用可能な知識体系や提言を作成し、行動者である国や地域の首長、議会、市民に提出するプロセスである。

この段階は、アカデミックな学理論争を行う場ではない。科学者は往々にして、自らの理論に基づいて助言しようとするが、それがかえって社会の混乱を招きかねない。個々の専門知識、見解を基礎にしながらも、政治や市民の合理的な行動につながるように、全体として統一のとれた俯瞰的情報、助言をまとめ発信しなければならない。
科学者にとって学理論争を行ってはいけないというのは,なかなか自分では思いつかないのではないかと思います.しかし自分たちの研究を社会に還元する際には,研究段階とは状況が違うのだということをしっかりと理解し,自らの責任を果たす必要があるということを意識しなくてはならないということでしょう.

一方,政策形成への科学者の関与の広がりと深まりによって,科学者への圧力が起きやすくなるとも指摘されており,そのための政治と科学の間の行動規範の作成が急務であると述べられています.これについて昨年3月に英政府により発表された原則も記事の中で紹介されています.ごく当然のことにすぎませんが,当たり前のことが当たり前にできないのが人間ですから,こうした原則を明示しておくことは重要だと思います.
すべての科学者・研究者がこの原則をしっかりと胸に留め,社会との関わりや貢献を意識することがこれから必要ではないかと感じますし,何らかの形で学ぶか身に付ける機会を設けるべきではないかと思います.

一方で,すべての事象が必ずしもゼロか1かで決められるわけではなく,行動するかしないかを問われる政策形成には抵抗を持つ研究者もいると思います.また,学究の徒として純粋に事象と向き合いたいという研究者もいると思います.そうした人々は先に述べた4つの段階の2つ目,事象の観察・分析による情報の提供によって貢献することができるはずです.
自分は一切社会とは関わらないとは考えずにいることが,これからの科学者には求められるようになるのかもしれません.
昨日のBLOGOSに「スーパー公務員を作ろう」という記事が公開されていました.

今回の震災に限らず,様々な災害からの復興が必要という時に被災した自治体の行政等を助けるための専門家集団を公務員として国が養成すべきであると.災害時には1000人ほど派遣すると.震災復興庁をつくるのであれば,そこが役割を担うと.

この点に異論はありません.そうした専門家がいることは様々な災害ポテンシャルを有する我が国にとっては心強い存在に違いありませんから.しかし,記事の一節,国が専門家を養成する必要があることの前提というか,そこへの流れにひっかかりました.以下,抜粋です.
50年、100年先のことを考えながら街の復興に取り組まなければならない。
地元にそういう人がいるか。

いないと思っておいた方がいい。

多くの人は、自分の利害に捉われてしまい、とても50年、100年先の将来を見据えながら街全体の復興のプランを策定することなど出来ない。
こういう時のために、国はスーパー公務員を養成すべきである。
確かに,日々様々な業務がある中で,いつ起こるともしれない災害を前提とした復興のことばかり考える部署を設けるほど余裕はないかもしれません.かといって,復興の際に地元の人々が長期的な視点で再度まちづくりを考える力がないとは限りませんし,国から派遣された人々に全てをまかせることはできないと思います.
結局,災害からある程度の時期がくれば派遣された専門家は引き揚げていくでしょうし,その後も続く復興の過程においては地元の人々が多くの役割を担っていくわけですから,やはり地元に人材が不可欠なのは明らかなはずです.

それでもそのように認識されていない可能性があるというのは,地方公務員が,記事の言葉を借りれば,「公益に生きる専門的能力を持った」人ではないと思われているからなのかもしれません.
私が所属する学科からは毎年多くの公務員を排出しています.彼らが公益に生きるために公務員という職に就こうとしているかと問われれば,必ずしもそうではないかもしれません.しかし,この震災を受けて,災害発生時,避難時,復興期に主導的な立場で働くことを求められているかもしれないと考える学生も増えているのではないかと思います.あるいは,そうあって欲しいと思います.

記事では国によるスーパー公務員の養成が提案されていますが,その前段,大学での教育においても基礎的な知識や地域づくりに携わる技術者としての在り方を伝えることは求められて然るべきだと思います.自分が教育の中でそうしたことにどれほど貢献できるかわかりませんが,少なくともその役割は忘れずにいたいと思います.

ところで,BLOGOSは毎日多くの記事が公開されるので,昨日,一昨日にタイトルだけ目にした記事というのはトップからのリンクがすぐになくなってしまいます.検索機能があれば良いのに.あるのに知らないだけかな.
先日も記事を紹介し,少し前から読むようになったウェブ論壇誌BLOGOSですが,現在はもっぱら原発や震災復興,そして政治に関する話題が中心です(以前は読んでいなかったのでわかりませんが).

記事を書いている方々のバックグラウンドなど良く存じ上げないので,どのくらい信頼できる意見なのかといったことはわかりませんが,ひとつの事象について多様な意見が述べられており,何が正しい,あるいは最善・最適なのかということを考えることのむずかしさを感じます.

ここ数日は関電の節電要求が出てきたことに対して,東電エリアから関西への移転を計画していた企業などはさらに国外に出て国内産業の弱体化と雇用の減少を招きかねないので,原発稼働も検討すべきといった意見や,関電の節電要求は過大なもので原発を止めると大変だぞというブラフに過ぎないといった,原発推進に乗っかるなという意見が出ていたりしています.

主義・思想・立場が違えば物事の見方は異なるのは当然ですが,新聞やテレビといった比較的身近なメディアでは対立する意見が雑多に紹介されていることは少ないように思います.そのメディアの主義であったり,あるいは商業的な狙いであったり,紙面や放送枠の制限であったり,さらには関連業界との関係といったことなどからなかなか多様な意見を伝えるのは難しいのかもしれません.

しかし,自分が必ずしも確たる意見を持っていないことに関しては様々な視点からの意見に触れ,自分なりの立場を模索する必要があるはずですし,そのためにはBLOGOSのようなサイトは有益かもしれないと思います.もちろん,あらゆる話題に対して自分の立ち位置を決める必要はありませんが,自分たちの未来に多少なりとも関係がありそうなことについては,何らかの考えを持っている必要があるように思います.

テレビのように受動的に得られる情報ではないので,記事を探し,自ら読むという努力が必要ですが,今まさに何らかの変化が求められている国で生きている以上,そうした努力も必要ではないかと思います.

Web論壇誌BLOGOSにおちまさと氏の特別寄稿「忘却という名の病」.日本は変わろうとしているのか.

記事の中では,震災後直後にみられた様々な熱情が薄れつつあるのではないかということと,日本人は変わることが苦手ではないかということが述べられています.

確かに,一時ほどそこに向けられた思いのようなものに触れる機会は減っているように感じますが,そのことが震災の記憶が失われたことを意味するものではないと思います.
何かをしなくてはいけないと多くの人が強く思いながら,時が経つにつれて普通の生活をおくることこそが自分にできることであり,求められていることであると,日々暮らしている人も多いと思います.特別なことをしないからといって,思いが失われたと考えるのは拙速ではないでしょうか.

また,日本人は変わろうとしているのか見えてこないといったことが述べられていますが,多くの人が自分の力の及ぶ範囲で何かを変えようと努力しているのではないかと思います.生活の中での努力はなかなか目に見えないかもしれませんし,企業の努力なども必ずしも規模の大きなものではないかもしれません.
また,震災後の様々な議論の中で述べられた新たに求められるであろう技術などについて開発しようと努力する技術者や研究者も少なくないと思います.

こうした動きが目に見えるようになるには,多少の時間がかかるのもやむを得ないのではないかと思います.おち氏がどのくらいのスピードで変わることを期待しているのかわかりませんが,小さくても変わろうとしている動きは多くあると思いますし,それらを信じて自分も自分のできることをしようと思うことが大切ではないかと思います.

そういう意味では記事にある「変わる継続」が大事だと思います.わずかな時間の中で変わらないことを嘆かず,変わる努力を継続していくことの積み重ねが,本当の変化をもたらすはずです.

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