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本日4月22日はEarth Dayだそうです.1970年にアメリカの上院議員が環境の抱える問題を人々に考えてもらおうと宣言したもの,とのことです.
設立の背景や歴史的経緯にはさておき,私も東京で暮らしている時に一度イベントに行ったことがあります.
国内・国外の環境問題を紹介するブースがあったり,音楽イベントなどが催されたり,出店もあったりとお祭りみたいなものでした.
その中で結構あったのが自然素材を使った衣類や日用品のお店でした.布製の女性用生理用品などもあり,それは使い捨てでないので,資源の有効利用にはなるのかなぁと思いました.自然素材は人の体には優しいのだろうと思いますが,環境への負荷をどの程度軽くするのかはよくわかりません.
色々あったのですが,それらをみて感じたことは「値が張る」ということです.要は高いわけです.仮に環境のためになるとしても,購入する気がおきなければ意味はありません.意識が高く,経済的負担をいとわない人たちだけが,そうした商品を買うようになっても,根本的な解決には程遠いように思います.
昨日のバスの話は外出する際に限られることですし,すべての人が利用するというわけではないので,環境のための経済的負担が増えても,なんとなく仕方ないと受け入れられるのではないかと思いますが,生活に欠かせない日用品となると,ついつい安い方を選んでしまうのではないかと思います.したがって,個人消費のレベルから環境に良い方向へ向かうには,生産者と消費者のWin-Winの構造が不可欠なように思います.
あるいは,昨日も書いたように環境への負担を軽減するような商品を買った場合の環境改善効果が定量的に示されれば,多少高くても自然素材の日用品を,と考えるようになるのかもしれません.
自分たちの暮らす環境を良くしたいけど負担は少ない方が良いというのが,そもそも虫の良い話という気もしますし,反省することも必要かなぁとも思ったりもします.
設立の背景や歴史的経緯にはさておき,私も東京で暮らしている時に一度イベントに行ったことがあります.
国内・国外の環境問題を紹介するブースがあったり,音楽イベントなどが催されたり,出店もあったりとお祭りみたいなものでした.
その中で結構あったのが自然素材を使った衣類や日用品のお店でした.布製の女性用生理用品などもあり,それは使い捨てでないので,資源の有効利用にはなるのかなぁと思いました.自然素材は人の体には優しいのだろうと思いますが,環境への負荷をどの程度軽くするのかはよくわかりません.
色々あったのですが,それらをみて感じたことは「値が張る」ということです.要は高いわけです.仮に環境のためになるとしても,購入する気がおきなければ意味はありません.意識が高く,経済的負担をいとわない人たちだけが,そうした商品を買うようになっても,根本的な解決には程遠いように思います.
昨日のバスの話は外出する際に限られることですし,すべての人が利用するというわけではないので,環境のための経済的負担が増えても,なんとなく仕方ないと受け入れられるのではないかと思いますが,生活に欠かせない日用品となると,ついつい安い方を選んでしまうのではないかと思います.したがって,個人消費のレベルから環境に良い方向へ向かうには,生産者と消費者のWin-Winの構造が不可欠なように思います.
あるいは,昨日も書いたように環境への負担を軽減するような商品を買った場合の環境改善効果が定量的に示されれば,多少高くても自然素材の日用品を,と考えるようになるのかもしれません.
自分たちの暮らす環境を良くしたいけど負担は少ない方が良いというのが,そもそも虫の良い話という気もしますし,反省することも必要かなぁとも思ったりもします.
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国交省河川局RSSより,地方整備局に水害予報センターを設置するとの話題がありました(詳しくはこちら).
「水災害犠牲者ゼロ」の実現のために,監視・予測の高度化,情報提供,気候変化の影響分析,河川管理者・水防管理者の支援を実施するとのことです.資料もわかりやすく,実現後のイメージもつかみやすいと思います.私の研究もいくつかの点で貢献できればと思います.
地方整備局に設置というと,公務員制度改革か省庁再編なのかわかりませんが,地方整備局に対する風当たりが強い昨今,新しく事業を開始するというのは一般の方々からみると「何をやっているんだ」と見えるのかもしれませんが,事業内容が果たして県や市といった地方自治体に完全にまかせて実効性のあるものになり得るか,ということも考えて判断する必要があるかと思います.資料に紹介されていたことは,地方自治体では難しいのではと思われることもありますし,そうした場合には縦の連携があって然るべきだと思います.無駄は当然省くべきですが,必要なことは残すという視点が大事ではないかと思います.
水災害に関して,昨年東京で起こった事故で,現場責任者と気象担当者の方が不起訴処分になるという記事がありました(Yahoo!ニュース).東京地検は「自然現象による急激な降雨や増水を予見することは困難だった」と理由を説明しているそうです.気象モデルを使ったりする立場からも,そう説明するしかないとは思いますが,被害に遭われた方々や周囲の人々の悲しみはそれで軽くなるわけでもなく,難しい課題ではありますが,様々な技術と智慧によって「犠牲者ゼロ」を目指さなくてはいけないのだと感じました.
「水災害犠牲者ゼロ」の実現のために,監視・予測の高度化,情報提供,気候変化の影響分析,河川管理者・水防管理者の支援を実施するとのことです.資料もわかりやすく,実現後のイメージもつかみやすいと思います.私の研究もいくつかの点で貢献できればと思います.
地方整備局に設置というと,公務員制度改革か省庁再編なのかわかりませんが,地方整備局に対する風当たりが強い昨今,新しく事業を開始するというのは一般の方々からみると「何をやっているんだ」と見えるのかもしれませんが,事業内容が果たして県や市といった地方自治体に完全にまかせて実効性のあるものになり得るか,ということも考えて判断する必要があるかと思います.資料に紹介されていたことは,地方自治体では難しいのではと思われることもありますし,そうした場合には縦の連携があって然るべきだと思います.無駄は当然省くべきですが,必要なことは残すという視点が大事ではないかと思います.
水災害に関して,昨年東京で起こった事故で,現場責任者と気象担当者の方が不起訴処分になるという記事がありました(Yahoo!ニュース).東京地検は「自然現象による急激な降雨や増水を予見することは困難だった」と理由を説明しているそうです.気象モデルを使ったりする立場からも,そう説明するしかないとは思いますが,被害に遭われた方々や周囲の人々の悲しみはそれで軽くなるわけでもなく,難しい課題ではありますが,様々な技術と智慧によって「犠牲者ゼロ」を目指さなくてはいけないのだと感じました.
3月10日~12日,コペンハーゲンで気候変動に関する国際会議が開催されたそうです(EICネットより).その時の出席者の方々の発言がNatureに紹介されていました(Natureより).
ドイツの方は「アメリカ科学アカデミーがCO2による温暖化への警鐘を鳴らしてから30年が経つというのに,政治家や一般の人々の間には緊急事態であるという意識が芽生えない」と発言し,イギリスの方も「政治家はどれだけの困難が生じるか理解しているのだろうか?私はそうは思わない」と発言されたようでした(私の英語力がひどくなければですが・・・).
いずれも研究コミュニティからの警鐘に対して,政治あるいは社会のアクションが遅いという批判です.日本では,レジ袋をもらわないとかテレビCMでも自然環境への配慮をアピールするものが増えて来て,少しずつではありますが,しっかりと人々の中に意識が根付いているように思いますが,抜本的な解決への変化をもたらし得る国レベルでの決定やアクションというのはみられません.環境を考慮した国づくりを行うとなれば,大きな構造の変化が伴うと思いますし,影響範囲も大きいので簡単にはあれこれ言えないと思いますが,果たして考えているのかどうかすら伝わってきません.政党同士が揚げ足取り合戦をしているようでは,期待は持てませんが.
研究コミュニティからの発言がさほど力を持たないというのも一つの問題かもしれません.以前,日本では研究者は言いっぱなしで責任を持たないから発言に重みがないという話を聞いたことがあります.言うだけいって,実際に動くのは行政となれば,意見を聴く方も「好き勝手おっしゃるのは簡単ですが」となるのも止むを得ないと思います.
その時に米国では研究者の発言は,それなりに影響力があるという話も聞きましたが,こと温暖化のことに関しては影響も大きく,及ぶ範囲も広いので,提言をすんなり政策などに反映できず,今回の記事のような発言につながったのでしょう,
とはいえ,研究者としては正しい意見は社会に反映して欲しいと願っているはずでしょうし,そうならないことはもどかしいと思います.自分の取り組んでいることが多少なりとも社会を良くすることに貢献する仕組みがしっかりできれば,研究者もより社会に向けて責任ある発言ができるのではないかと思います.
では,発言に従ったがゆえに何か起こった時,研究者は責任をどう取るのかと言われると,残念ながら答えは持ち合わせていません.問題が起こった後ではなく,発言を参考に何か行動が起こされようとしている時には,あらゆる可能性を検討して,課題解決のための最良の方法を考えていくことが研究者の責任といえるかもしれません.
正論を吐くというのは勇気のいることですが,信念を持って研究に取り組んでいる以上,そこは譲らない研究者になれればと思います.それによって社会が動こうとしている時に,自分の取り組むべき新たな課題が生じたとしても,それは喜ぶべきこととして捉え,立ち向かっていくまでです.
ドイツの方は「アメリカ科学アカデミーがCO2による温暖化への警鐘を鳴らしてから30年が経つというのに,政治家や一般の人々の間には緊急事態であるという意識が芽生えない」と発言し,イギリスの方も「政治家はどれだけの困難が生じるか理解しているのだろうか?私はそうは思わない」と発言されたようでした(私の英語力がひどくなければですが・・・).
いずれも研究コミュニティからの警鐘に対して,政治あるいは社会のアクションが遅いという批判です.日本では,レジ袋をもらわないとかテレビCMでも自然環境への配慮をアピールするものが増えて来て,少しずつではありますが,しっかりと人々の中に意識が根付いているように思いますが,抜本的な解決への変化をもたらし得る国レベルでの決定やアクションというのはみられません.環境を考慮した国づくりを行うとなれば,大きな構造の変化が伴うと思いますし,影響範囲も大きいので簡単にはあれこれ言えないと思いますが,果たして考えているのかどうかすら伝わってきません.政党同士が揚げ足取り合戦をしているようでは,期待は持てませんが.
研究コミュニティからの発言がさほど力を持たないというのも一つの問題かもしれません.以前,日本では研究者は言いっぱなしで責任を持たないから発言に重みがないという話を聞いたことがあります.言うだけいって,実際に動くのは行政となれば,意見を聴く方も「好き勝手おっしゃるのは簡単ですが」となるのも止むを得ないと思います.
その時に米国では研究者の発言は,それなりに影響力があるという話も聞きましたが,こと温暖化のことに関しては影響も大きく,及ぶ範囲も広いので,提言をすんなり政策などに反映できず,今回の記事のような発言につながったのでしょう,
とはいえ,研究者としては正しい意見は社会に反映して欲しいと願っているはずでしょうし,そうならないことはもどかしいと思います.自分の取り組んでいることが多少なりとも社会を良くすることに貢献する仕組みがしっかりできれば,研究者もより社会に向けて責任ある発言ができるのではないかと思います.
では,発言に従ったがゆえに何か起こった時,研究者は責任をどう取るのかと言われると,残念ながら答えは持ち合わせていません.問題が起こった後ではなく,発言を参考に何か行動が起こされようとしている時には,あらゆる可能性を検討して,課題解決のための最良の方法を考えていくことが研究者の責任といえるかもしれません.
正論を吐くというのは勇気のいることですが,信念を持って研究に取り組んでいる以上,そこは譲らない研究者になれればと思います.それによって社会が動こうとしている時に,自分の取り組むべき新たな課題が生じたとしても,それは喜ぶべきこととして捉え,立ち向かっていくまでです.
一昨日のことだったかと思いますが,JR東日本で不正な取水が行われていたことがニュースになっていましたね.社会的にどれほどインパクトのある事件だったのかわかりませんが,一応河川に関係する分野で仕事をしているので,ちょっと気になりました.
普段は河川を流れる水は自然の一部と考えているのが普通だと思いますが,今回のようなことが資源としての水は無料ではないということを認識する良い機会になるかもしれません.しかし,先日のニュース以来マスコミでは関連した話題提供などないようなので,その意識が芽生える前に今回の事件も風化してしまうのでしょうね.蛇口をひねれば(ほとんど)いつでもきれいな水が得られる環境にある日本人は,水は貴重な資源であるという認識が低いといわれますが,その意識もいずれ変わるとよいかと思います.
今回の場合は発電所で発電が行われた後に水は河川に戻されるので,何がそんなに問題なんだ,と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが,取水口と排水口は同じ時点ではないので,その間河川では水が少なくなる部分があります(減水区間).河川には,環境を維持するのに最低限必要な流量というのが定められているので,取水による減衰も環境への影響がある場合もあります.今回の水利権取り消しで信濃川に元の流れが戻ったとの喜びの声もあるそうです(参考記事はこちら).
ただし,減水による河川への影響がどの程度あるかという定量的な評価は定まっていないというのが現状だと思います.維持流量はもっと必要かもしれませんし,それほど必要ではないかもしれません.この点は今後も研究が必要なところだと思います.
河川工学は他の工学分野に比べて,空間的普遍性が低い工学といえます.電機や機械といったものはどの場所で使用するものでも大差はないものも多いと思います(たとえば携帯電話など)が,河川にはひとつひとつ個性があり,その場所場所での対応が必要なので,ひとつの手法や考え方が他の河川に適用できるかとは限りません.そうした意味でも,河川研究は今後も必要でしょう.もしかしたら圧倒的な文明の力によってどの河川も支配するという価値観が将来生まれることもあるかもしれませんが,環境との共生という考え方にシフトしようとしている現在は,そうした方向に進むことはないと思います.
ところで今回の不正な取水はなぜ明らかになったのでしょうね.本来の川の姿を願う市民の人たちが調査とかしていたのでしょうか.それとも内部告発とかかな.まぁその辺はさほど問題ではないですね.
普段は河川を流れる水は自然の一部と考えているのが普通だと思いますが,今回のようなことが資源としての水は無料ではないということを認識する良い機会になるかもしれません.しかし,先日のニュース以来マスコミでは関連した話題提供などないようなので,その意識が芽生える前に今回の事件も風化してしまうのでしょうね.蛇口をひねれば(ほとんど)いつでもきれいな水が得られる環境にある日本人は,水は貴重な資源であるという認識が低いといわれますが,その意識もいずれ変わるとよいかと思います.
今回の場合は発電所で発電が行われた後に水は河川に戻されるので,何がそんなに問題なんだ,と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが,取水口と排水口は同じ時点ではないので,その間河川では水が少なくなる部分があります(減水区間).河川には,環境を維持するのに最低限必要な流量というのが定められているので,取水による減衰も環境への影響がある場合もあります.今回の水利権取り消しで信濃川に元の流れが戻ったとの喜びの声もあるそうです(参考記事はこちら).
ただし,減水による河川への影響がどの程度あるかという定量的な評価は定まっていないというのが現状だと思います.維持流量はもっと必要かもしれませんし,それほど必要ではないかもしれません.この点は今後も研究が必要なところだと思います.
河川工学は他の工学分野に比べて,空間的普遍性が低い工学といえます.電機や機械といったものはどの場所で使用するものでも大差はないものも多いと思います(たとえば携帯電話など)が,河川にはひとつひとつ個性があり,その場所場所での対応が必要なので,ひとつの手法や考え方が他の河川に適用できるかとは限りません.そうした意味でも,河川研究は今後も必要でしょう.もしかしたら圧倒的な文明の力によってどの河川も支配するという価値観が将来生まれることもあるかもしれませんが,環境との共生という考え方にシフトしようとしている現在は,そうした方向に進むことはないと思います.
ところで今回の不正な取水はなぜ明らかになったのでしょうね.本来の川の姿を願う市民の人たちが調査とかしていたのでしょうか.それとも内部告発とかかな.まぁその辺はさほど問題ではないですね.
土木学会MLの中で,2月の論説のお知らせがありました.東京大学の大垣先生と北大名誉教授の丹保先生の書かれたもので,お二人とも水関連の研究に取り組んでこられたということでチェック.記事は一般の方々にもオープンなようなので,こちらよりどうぞ(第21回の論説です).
大垣先生は社会基盤に携わる若手に,世界での活躍の舞台を広げようといった内容のことを書かれていました.私は比較的海外の方々との研究や活動を経験してきたのであまり感じませんでしたが,国内の課題解決ばかり強調することは社会基盤整備という仕事の魅力を減じてしまうというのが大垣先生の危惧のようでした.
私はさほど海外志向が強いわけではないので,あまり気にしたことはありませんが,周囲をみるとゼネコンや建設系コンサルタントで働く友人はけっこう海外での仕事をしています.ただ,これは結果として海外を舞台に働いているということで,彼らは必ずしも世界に飛び出していく,という気持ちで現在の職場を選んだのではないように思います.もしも世界を舞台に働きたいという若い人がいれば,現在そして将来の社会基盤整備には多くの機会があると思います.大垣先生は,そのことをもっと世間に広く知ってもらい,社会基盤を通して世界で活躍したいという気持ちを若者に持ってもらいたいと考えているのかもしれません.
丹保先生の記事は水利用の将来のことに関してでした.主として日本はどうすべきかということを述べておられましたが,それでも世界の中での位置というものを認識しつつ問題に取り組む必要があると思います.
世界を舞台とするか,日本で課題解決をするかは個人の志向やその時々におかれた環境にもよるので,どちらが良いということは言えないと思いますが,どんな場所でも社会基盤整備は生活の基礎を作るものに変わりはないと思います.どこにいても変わらぬ思いで取り組める仕事というのは,ちょっとかっこいいように思います.
大垣先生は社会基盤に携わる若手に,世界での活躍の舞台を広げようといった内容のことを書かれていました.私は比較的海外の方々との研究や活動を経験してきたのであまり感じませんでしたが,国内の課題解決ばかり強調することは社会基盤整備という仕事の魅力を減じてしまうというのが大垣先生の危惧のようでした.
私はさほど海外志向が強いわけではないので,あまり気にしたことはありませんが,周囲をみるとゼネコンや建設系コンサルタントで働く友人はけっこう海外での仕事をしています.ただ,これは結果として海外を舞台に働いているということで,彼らは必ずしも世界に飛び出していく,という気持ちで現在の職場を選んだのではないように思います.もしも世界を舞台に働きたいという若い人がいれば,現在そして将来の社会基盤整備には多くの機会があると思います.大垣先生は,そのことをもっと世間に広く知ってもらい,社会基盤を通して世界で活躍したいという気持ちを若者に持ってもらいたいと考えているのかもしれません.
丹保先生の記事は水利用の将来のことに関してでした.主として日本はどうすべきかということを述べておられましたが,それでも世界の中での位置というものを認識しつつ問題に取り組む必要があると思います.
世界を舞台とするか,日本で課題解決をするかは個人の志向やその時々におかれた環境にもよるので,どちらが良いということは言えないと思いますが,どんな場所でも社会基盤整備は生活の基礎を作るものに変わりはないと思います.どこにいても変わらぬ思いで取り組める仕事というのは,ちょっとかっこいいように思います.
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